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 南極に於けるバード少将の記録はこれで終わりませんでした。

 1947年2月26日、バード少将がマスターとの会見が終わってから一週間後の事でした。「空飛ぶ円盤」が遠征艦隊の駆逐艦マードックを攻撃してきたのです。その攻撃により戦闘機の半数と、63人の兵士や将校を失ったというのです。

 空軍パイロットはこの様に証言しました。

「空飛ぶ円盤は海面から飛び出し、軍艦のマストの間をとんでもない

 速さで飛び、怒り狂った気流は無線アンテナを引き裂いた。空飛ぶ

 円盤は音も立てずに軍艦の間を攻撃し、連続して酷い銃弾を浴びせ

 かけた。」

バード少将は日誌に以下の様に記録している。

 私はその時、空母カサブランカの船上にいた。私には何が起こっているのか理解できなかった。その空飛ぶ円盤は、まったく音を立てる事は無かった。戦闘機は空母カサブランカから離陸する時間があった。戦闘機2機が空母の近くの海に墜落するまで、瞬きする時間も無かった。その戦闘機2機は、空飛ぶ円盤の前方部分から発射された未知のビームによって撃ち落されたのだった。

 突然、我々から2千メートル離れていた駆逐艦マードックが火を放ち沈み始めた。危険なのにも関わらず、他の軍艦からライフボートやモーターボートが送られた。

 その悪夢は約20分間続いた。空飛ぶ円盤が再び海面に潜って行ったとき、私達は死傷者数を数え始めた。それはとても酷かった。

 これは「南極戦争」と言われているが、このバード少将の記録を見る限り、一方的な攻撃に晒され、バード少将の艦隊は何一つ攻撃すらできなかった事が解ります。その後、バード少将の艦隊は、平気や軍用機を置き去りにして南極沿岸から逃走をしたのです。部隊のうち西部部隊は3月1日に、東部部隊は3月5日に本国に帰還しました。

 1947年3月5日、チリのサンディアゴ新聞に「オペレーション・ハイジャンプのマウント・オリンパスの船上で」という見出しと共にバード少将のインタビュー記事が掲載され、「敵の領域に対して即時の防衛案をまとめる事が緊急に必要だ」との談話が掲載されました。

​ バード少将は更に続けます。「私は過度に皆さんを怖がらせたくはないが、新しい戦争でアメリカ大陸が、南極から北極まで信じられないスピードで飛ぶ物体に攻撃される可能性が高いというのが、苦々しい現実なのだ。」

 

 アメリカに戻ってきたバード少将は、ワシントンの議会調査委員会の前に緊急審理の為に呼び出されました。ここでバード少将は、円盤状の戦闘機の考えられない機能や攻撃性について​「南極から発進してくる敵機の攻撃に対して防衛計画を立てなければならない。新しい戦争の場合には、アメリカは北極から南極まで信じられないスピードで飛ぶ飛行物体を持つ敵に攻撃されるかもしれない。」と説明しました。

 この時の事についてバード少将は日誌に以下の様に書いています。

バード少将の日誌

 1974年3月11日、私はペンタゴンのスタッフミーティングに出席していた。私はすべての発見と、地球の空洞空間アリアーニのマスターのメッセージを述べた。すべては正式に議事録に記録された。大統領にも忠告がなされた。

​ 私は6時間39分の間、拘束され、トップの治安部隊と医療チームに尋問された。それは拷問に他ならなかった。私はアメリカ合衆国の国家安全基準により監視下に置かれた。人類のために、地球の空洞空間アリアーニで見たり聞いたりした事は、すべては口外してはならないと私は命令された。信じられない事だ。私は軍人で、命令には従わなければならないという事を注意された。

 バード少将の南極戦争に関係する事は、ここまでとなりますが、このバード少将の事が関係してなのか、1949年に海軍長官であったジェームス・フォレスタル氏は精神病院に強制入院され、その後、自殺しました。この自殺には不可解な点が多くありましたが、一節には地球の空洞空間アリアーニの事をしゃべってしまった事が原因と言われています。

 また連合国軍司令長官のマッカーサー元帥は1955年に「すべての国は、生き残るために団結し、異星人の攻撃に対し共同戦線を張らなければならない」との談話を発表しましたが、この事についてもこのバード少将の体験が関係していた可能性もあるのではないでしょうか。

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