3―2.ハイジャンプ作戦
ナチスドイツの頭脳ともいうべき多くの科学者や技術者が、第二次世界大戦末期から続々とアメリカへと移住が為されている事と並行して、アメリカは謎の多い「ハイジャンプ作戦」を実行していました。
この作戦は、表向きはアメリカ海軍による大規模な南極観測プロジェクトと言われていました。部隊の司令官はリチャード・バード少将で、その旗下に13隻の艦船と多数の航空機、4700名の人員規模で実行された計画です。しかしその実態は謎に包まれており、現在では一般的には記憶されていない作戦となっています。ではこの作戦の真意はどこにあったのか、それを理解するにはナチスドイツと南極の関係について理解をする必要があります。
ゲシュタポ長官
ハインリッヒ・ミュラー長官
オーストラリア在住
ケン・スネル氏
ビンリン・グローガー
ナチス総統秘書官
マルチン・ボルマン
◆ナチスの南極探検
ナチスのアドルフ・ヒトラーは、早い段階から南極大陸に目を付けていたと言われています。当時の南極大陸は無主地(支配する国が無い土地)で世界のどの国も南極大陸に対して領有権を主張する事はありませんでした。
1938年「南極大陸を獲得する!」という、ヒトラーの掛け声と共に、ナチスの南極大陸探検が開始されました。ヒトラーは腹心であるアルフレート・リッチャーに南極遠征を命じました。リッチャーは総勢57名(探検隊33名と船員24名)の遠征隊を組織し、カタパルト船シュワーベンラント号で南極を目指しました。
1938年12月17日にハンブルグを出発した船が、南極クイーンモーランド沖に投錨したのは1939年1月19日の事。それから3週間にわたり、船から飛び立った水上機「バサート」と「ポアレス」が南極大陸を60平方キロの範囲で飛び回り、1万枚以上の航空写真の撮影をしたと云われています。
航空機から撮影した1万枚の写真を元にして南極地図を作成しましたが、それを本国のドイツで分析したところ、1931年のノルウェー遠征隊が作成した地図が間違いだらけである事が判明しましたが、それと共に当時としては驚くべき事実が明らかになったと言います。
それまで南極は高い山など無く、平らな氷の塊と考えられていましたが、南極には4000メートル級の山脈が存在し、内陸部には雪の降らない地帯が存在する事が判明、火山活動の為に凍る事のない「温水湖」もいくつか発見され、隊員の一人はこの暖かい湖で泳いで見せたというのです。またこの温水湖の周囲には植物が生えており、夏であれば人は防寒着がなくても生活できる事が解ったというのです。
この様にリッチャー遠征隊の南極探検は大きな成果を上げましたが、その後もヒトラーは毎年のように遠征隊を送り込み、南極大陸とその周辺の島々に対する調査を続けました。そしてヒトラーは調査区域を「ドイツ領土」とみなし「ノイ・シュワーベンラント(新しいスウェイビア)」と名付け、実効的に支配するために軍事拠点の建設を企図したと言うのです。
◆ナチス第四帝国の建設
先に企図した軍事拠点の建設は実際には実行されていないと、歴史上の話になっていますが、実はアドルフ・ヒトラーは本気で南極進出を考えていた様で、そこに軍事拠点を建設するどころか、ベルリン並みの都市まで建設するつもりであったと言われています。この事を「ナチス第四帝国」と呼ばれています。
この事は第二次世界大戦後、ドイツ国外に逃亡した元ナチス高官が証言していたと言われています。
<ゲシュタポ長官・ハインリッヒ・ミュラーの証言>
元ナチス高官が、アルゼンチンに逃亡する船の中で「これで第三帝国はおしまいだ」と言うと、ハインリッヒ・ミュラーはこう答えたと言います。
「第三帝国は12年で終わったが、まだ第四帝国がある。総統はその準備を
なされている。時機到来までは時間がかかるだろう。一世代や二世代、
もしかしたら三世代かかるかも知れぬ。我々が生きている間に実現するか
も疑わしい。しかし、それでも良いのだ。我々は偉大な第三帝国のメンバ
ーとしてその任務を全うしたのだから。」
またこの証言以外にも、幾つか不思議な事があったと言います。
<消えた25万人のドイツ人男女の謎>
ドイツは日本と同じような住民登録制度がありました。この住民登録には職業、性別、年齢、家族構成などが克明に記録されていましたが、戦後、ドイツに進駐した連合国軍は、この住民登録の中で25万人のドイツ人男女が消えてしまっている事を確認したのです。
<元親衛隊SS大佐の娘からの情報>
オーストラリア在住のジャーナリスト、ケン・スネル氏は「サイゴン・デイリーニュース」紙の記者として、ベトナム戦争で活動していた1968年頃に「ナチス第四帝国」に関する不思議な情報を入手したと言います。
当時、ケン・スネル氏は取材でブンタオに滞在していましたが、7月8日の午後3時頃のこと、「グランド・ホテル」のロビーでコーヒーを飲んでいると、ビンリン・クローガーという17歳の少女の訪問を受けたと言います。ビンリンはハノイ生まれで、母親はベトナム人、父親はドイツ人であったと言うのですが、父親は彼女が生まれた時には既に行方不明であったというのです。彼女が9歳になると、サイゴンの叔母の所に預けられたのですが、その3年後に母親が亡くなったとの手紙が届き、その手紙には同時に衝撃的な内容が書かれていたと言うのです。
この手紙はビンリンの両親を良く知る僧侶からの手紙であったそうですが、その手紙で彼女は自分の父親の秘密を知りました。それは彼女の父親がナチス親衛隊SSのカール・グローカー大佐であり、マルチン・ボルマンの直属の部下であったというのです。しかも父親は、ドイツの敗戦に備えてヒトラーやボルマン、そしてナチス要人や科学者たちを逃亡させるルートの確保という極秘任務についていたと言うのです。
ドイツ敗戦後、父親のグローガー大佐は僧侶のいる寺院に身を潜めていましたが、「世界で最も権力のある2人の人物に会いに行きます」と言い残して寺院をあとにしました。その後、チベット奥地から僧侶の寺院を訪れたラマ僧の話では、チベット東部の寺院に「謎の2人連れ」が滞在し、見慣れない武器を持った兵士が護衛しているという話を聞いたと言うのです。
1948年に彼女の父親のグローガー大佐はハノイに姿を現わしたと言い、僧侶の寺院に宿泊したと言うのですが、その時には3人の科学者が同行していたそうで、そのうちの一人を「宇宙旅行の鍵を握る人物」と紹介されたと言います。また彼ら科学者はグローガー大佐の案内で「世界の果て」に行っていたと語ったというのです。
次にグローガー大佐がハノイに現れたのは1951年のこと、ちょうどビンリンが生まれる1年前だったそうです。この時、グローガー大佐は僧侶に次の様に語ったと言います。
「私の祖国は地球上で最も進歩している。しかもある”別の存在”から援助を
受けているんだ。第四帝国にとって過去は何も意味もない。たとえば我々
が生み出しているものは、すべてが驚異的なものだ。”別世界”に飛んで
いける飛行装置や地球の中心まで侵入可能な飛行潜水艦。そう、巨大な
都市も建設した。」
ここまでグロ―ガー大佐は話すとしゃべり過ぎたという表情になったと言います。しかし僧侶が「それはどこにあるのですか?」と聞くと。
「空路じゃ無理だ。陸路なら行く事が出来る。月は見えないが、地球の太陽
が見える。そんなところだ。」
そう教えてくれ、翌日に彼はどこかへ去ってしまったと言うのです。
ここまでの情報、真偽を確認するすべはありませんが、もし本当であればナチスドイツは単に第二次世界大戦後に壊滅したとう事でも無い様に見受けられます。またナチスは南極に何かしらを建設していた可能性もあると考える事も出来るでしょう。この事を前提として、ハイジャンプ作戦について、もう少し見ていきたいと思います。