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1.UFO問題の近代史に於ける起源

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 UFOの起源について語ると、人類史の有史以前までに遡ってしまう事にもなるので、ここではまず近代史におけるUFOの起源について紹介したいと思います。

 

 このUFOですが、第二次世界大戦の連合軍のパイロットたちが、ヨーロッパや太平洋の上空で未確認飛行物体を目撃した時に「フー・ファイター(Foo Fighter)」と呼んでいた事が記録に残っています。この当時の未確認飛行物体は、当時、敵軍の秘密兵器と考えられていましたが、人間に被害を及ぼしたという記録もなく、またパイロットにより写真撮影もされていましたが、多くは砲火の反射等と思われたりしていました。

◆ロサンゼルスの戦い(Wikipedia参照)
 第二次世界大戦中の1942年2月25日、アメリカ合衆国カリフォルニア州露ロサンゼルスでは「ロサンゼルスの戦い」という軍事作戦が展開されました。


 これは当初、日本海軍の艦載機による空襲とされ、アメリカ陸軍が対空砲火を中心にした迎撃戦を展開、その模様はラジオ中継もされ、アメリカ西海岸のみならずアメリカ全土をパニックに陥れました。しかし当時の日本海軍にそのような空襲の記録はなく、騒動の真相については今に至るまで不明のままとなっています。またこの軍事作戦を元にして、スティーブン・スピルバーグは映画「1941」を作成したとも言われています。

◆マンテル大尉事件
 1948年1月8日に、アメリカ合衆国のケンタッキー州において未確認飛行物体の目撃と、それによるアメリカ空軍機の墜落事故がありました。1月7日から発生していたゴドマン市民とケンタッキー州警察から目撃報告により、アメリカ空軍ゴドマン基地は、付近を飛行していた同基地に所属するトーマス・F・マンテル空軍大尉の率いるP-51戦闘機4機に対して、この未確認飛行物体の追跡を命じました。これと前後してゴドマン航空基地上空では直径100メートルを超え、上部が点滅している銀色の未確認飛行物体も観測されていたのです。
 この後、3機は燃料不足のために追跡を断念しましたが、追跡を継続していたマンテル大尉は、常勝をsる未確認飛行物体を確認し司令部に「未確認飛行物体は上空を飛行中で、さらに上昇を続けている」「高度7,000フィートまで追いつかなければ追跡を断念する」と報告、その後、消息を絶ちました。数時間後にマンテル大尉の乗った航空機は広範囲に破片をばらまき、その残骸とともにマンテル大尉の遺体も発見されました。

◆ケネス・アーノルド事件
 第二次世界大戦後の1947年6月24日、アメリカ合衆国ワシントン州でUFO遭遇事件がありました。この事件はアメリカ人のケネス・アーノルド氏がワシントン州カスケード山脈いあるレーニア山付近の上空、高度2,900メートルを自家用機で飛行中、午後2時59分頃に北から南に向けて高速で移動する9個の奇妙な仏体を目撃、物体は鎖のように一直線につながって飛行しており、その飛行物体は平たい形状で翼はあるが、ジェットエンジンの音等が聞こえなかったと言います。またその形状がコーヒーカップの受け皿に見えた事から、以降こういった未確認彦物体は「Flying Soucer(空飛ぶ円盤)」とも呼ばれる事になりました。
 ケネス・アーノルド氏はこの時に飛行物体が2点間を飛行する速度の計測をしていましたが、時速1700マイル(2735.8km/h)という、当時の飛行技術では考えられない高速で飛行していたと報告しています。

◆ロズウェル事件
 この事件は近代のUFO事件でもかなりセンセーショナルな事件でした。
 1947年7月8日、アメリカ合衆国ニューメキシコ州ロズウェル近郊にUFO が墜落したと言われ、アメリカ軍によって墜落した機体と、そこに搭乗していたという異星人の遺体が回収されたという事件です。
 この事件の発端となったのは、1947年7月8日にロズウェル陸軍飛行場(RAAF)が発表したプレスリリースだと言われています。このプレスリリースの中でアメリカ陸軍は「第509爆撃航空群の職員がロズウェル付近の牧場から潰れた『空飛ぶ円盤(Flying Disc)』を回収した」と発表しました。しかしその数時間後、第8航空軍司令官であるロジャー・M・レイミー准将がプレスリリースを訂正し「RAAF職員が回収したものは空飛ぶ円盤ではなく、気象観測気球であった」と述べました。
 

 この事件はかなり複雑に込み入っていますので、別に章立てをして詳細をまとめてみたいと思います。

◆ワシントンUFO乱舞事件
 これは1952年7月19日と7月27日に、アメリカ合衆国の首都、ワシントンDC及びその周辺地域で発生した、大量のUFO目撃事件です。この時に目撃されたのは68機ものUFO がワシントンDC上空に現れ、大勢の市民の目の前で飛び回るというものでした。
 7月19日の午後11時40分、ワシントンナショナル空港の管制塔が、不審なレーダー像を補足し、それはホワイトハウスや国会議事堂の上空にあると思われた事から、付近のアンドリューズ空軍基地に通報し、基地でも不審なレーダー像が確認されました。またこの飛行物体は管制官や駐機中の旅客機のパイロットにも目撃され、白、オレンジ、尾翼等の有無など細部は異なるものの、異様な動きをする光が6個程度、目視で確認されたと言われています。この時にはアメリカ空軍のロッキードF-94Bが飛来する説直前に、一斉に未確認飛行物体は消失したと言われていますが、戦闘機が引き返すとまた現れ、あたかも無線を傍受して戦闘機を避けた動きをしたのではないかと言われています。

 これら未確認飛行物体は、翌20日の午前5時30分にレーダーから姿を消しましたが、その内容は当時、新聞でも大きく報道され、全米で話題になりました。そして一週間後の7月26日の夜8時頃に、ワシントン上空を飛行中の旅客機の複数の乗員から、上下左右に不規則に動き、速度を変化させながら静止する物体が目撃され、空港のレーダーにもその像が確認されました。この時の飛行物体の速度は時速1万Km/hを超えるものも確認されましたが、音速を超える際に発生するソニックブーム(衝撃音)等は確認されませんでした。
 この時も空軍は2機のF-94戦闘機を発進させましたが、機上のレーダーには捕捉されたものの、フライトリーダー等には何も視認する事が出来なかったと言われています。
 

 当時、この件ではアメリカ国防総省(通称:ペンダゴン)には問い合わせが殺到し、回線はパンク状態になったと言われていますが、空軍の公式見解では「逆転層による気象現象」という事で一連の事件の説明が為されました。

 以上が代表的なUFO関連の近代史上における事件ですが、主にアメリカを中心としてUFOフラップ(集中目撃)が発生したと思われます。

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