
3.神との対話にみる意識の事

ここで少し話題は飛びますが、アメリカ人のニール・ドナルド・ウォルシュ氏が2005年に出版した「Conversations with God(邦題:神との対話)」の中には、興味深い記述があります。ではどの様に興味深い内容なのか、少し長くなりますが紹介します。
この書籍は、著者のニール氏が人生に行き詰まる中、日常的に行っていた「神への手紙」の作業の中で、霊示を受けた様に始まったと言います。いわゆる自動書記を通じて、ニール氏の内面にある「神」との対話記録となっています。そこでは様々な形而上の問題や人生の問題等について書き連ねられていますが、そもそも神というのは如何なるものであるのかについて以下の様に語られています。
「まずはじめにあったのは、「存在のすべて」、それだけだった。他には何もなかった。その、「存在のすべて」は、自分自身が何かを知ることはできない。なぜなら「存在のすべて」ー、あるのはそれだけで、ほかには何もないから。他に何かがなければ、「存在のすべて」も、ないということになる。「存在のすべて」は、裏返せば「無」と同じだった。」
ここでは宇宙の始まりにあったのは「存在のすべて」というものだけで、それ以外のものは無かったと言うのです。ここで「存在のすべて」と述べていますが、恐らく今存在する根源的な存在、意識の大元と言っても良いでしょう。
またそれしかないというのは、他者の視点から自らを知る事は出来ない事から、「存在のすべて」は「無」と同じであったと言うのです。これは例えば私達も暗闇の個室の中で一人置かれた場合、自分自身の事を感じてはいてもその存在を「ある」という状況では無いという事と同質であると言うのです。その為に「存在のすべて」は自分を分割して別の存在を造り出したというのです。そうする事で、「自分」と「他者」が出現した事で「無」という状況から解き放たれたと言います。そしてその後、「存在のすべて」はより多くの分割を行い始めたと言います。
「自分自身を分割したわたしの聖なる目的は、たくさんの部分を創って自分を体験的に知ることだった。創造者が、「創造者である自分」を体験する方法は、ただひとつしかない。それは、創造することだ。そこで、わたしは自分の無数の部分に(霊の子供のすべてに)、全体としてのわたしがもっているのと同じ創造力を与えた。
あなたがたの宗教で、「人間は神の姿をかたどり、神に似せて創られた」というのは、そういう意味だ。これは、一部で言われているように物質的な身体が似ているということではない(神は目的にあわせて、どんな物質的な身体にもなることができる)。そうではなくて、本質が同じだという意味だ。わたしたちは、同じものでできている。わたしたちは、「同じもの」なのだ。同じ資質、能力をもっている。その能力には、宇宙から物質的な現実を創出する力も含まれている。」
そしてニール氏に対して、人間の意識とは「存在のすべて」から分割された存在であり、「自分:ここでは神と呼ばれている」存在と同質であると言うのです。
「つきつめて言えば、自分が何であるかを知るためには、自分ではないものと対決しなければならない。これが相対性の理論の目的であり、すべての物質的な生命の目的だ。自分自身を定義するのは、自分ではないものによってなのだ。」
この話でとても興味深いのは、宇宙の始めにあった意識は、自分自身を知り、それを体験するために自分自身を同質なものとして分割し、意識を増やしていったという事で、これは先のカストラップ博士が述べた「宇宙は解離性同一性障害(多重人格)で、我々はその人格の1つ」という事と同じ事を述べているのです。
ニール氏がこの体験をしたのは2005年以前なので、今から約20年程度前の事です。果たしてカストラップ博士はこの「神との対話」からヒントを得て、今回の論説を発表したのか、そこは判りませんが、これはとても興味深い論点であると私は思いました。